【1つの言葉が含む意味が言語によって異なることを実感】ジェーン・オースティンを読んで


高慢と偏見(上) (ちくま文庫)


高慢と偏見(下) (ちくま文庫

 

久々に小説を読みたくったので、

名作と言われているのに今まで読んだことが無い本を手にしました。

 

まず、見ていたドラマでも出て来て気になっていた高慢と偏見を読みました。
人物描写、風景描写が素晴らしくて、英国の庭園にとても興味が沸きました。
木々の美しさを愛でる心が根付いているような気がして。

 

何が面白いの?と言われるとなかなか明確な答えは出ない気がしますが、
ともかく、途中で止められずに最後まで読んでしまうようなそんな魅力があります。

 

そんな感じで、ジェーン・オースティンの他の作品も興味が沸いたので、
さっそくどんどん読んでみました。

 


分別と多感 (ちくま文庫)

 

次に選んだのは「分別と多感」です。
こちらも真逆な性格の姉妹の描写が面白かったのですが、
それよりも気になってきたのはタイトルです。

 

傲慢と偏見 pride and prejudice

分別と多感 sense and sensibility

それぞれの元のタイトルは上記となるのだけど、
なんだか違和感があるような気がして、その理由を考えていました。

 

そして、思ったことは言語に寄ってその言葉が含む意味の範囲が違うということです。

例えば、pride=傲慢ではなくて、もっと色んな意味があるし、sense=分別でもないということです。

他の言葉もそうですが、読後に特にそれを感じてしまって、
日本語のタイトルが英語のタイトルほどには内容にぴったりと合ってはいないような気がして違和感を感じてしまいました。

もちろん文字数を合わせるなどの制約もあり、一番最善の訳を選んでいるのは分かっているのですが、訳さずにそのままの語感や意味をくみ取れる方が面白いだろうなと思って、英語のまま読んでみたい気になりました!

 

 

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そして続けて読んだのがエマと、

エマ(上) (ちくま文庫)

エマ(下) (ちくま文庫)

 

ノ―サンガー・アビーと


ノーサンガー・アビー (ちくま文庫)

 

マンスフィールド・パークです。


マンスフィールド・パーク (ちくま文庫)

 

どれも面白かったのですが、私はマンスフィールド・パークが好きかもしれません。
そして英語のタイトルと邦題があまりにもかけ離れて思えたため、気づかなかったのですが、どうやらこれらが元になった映画もすでに見ていることに気づきました!

 

「ある晴れた日に」の英題がsense and sensibilityなのは知っていたので、
突然つながり、なんだか新しい発見をした気分になりました。

 

それだけを見ても分からないことが比較することで、初めて理解できるというのはよくあることですが、特に言語はそうな気がします。

とても面白いなと思いました!

 

【千葉と埼玉の違うところについて考えたことはあるだろうか?】多眼思考 モノゴトの見方を変える300の言葉!


多眼思考 モノゴトの見方を変える300の言葉! [ ちきりん ]
⇒電子書籍はこちら

 

ちきりんさんのツイッターの呟きを集めた本なのですが、
確かに彼女の視点や思想に関してつまびらかになっていることを実感します。

 

実際にツイッターをフォローしていますが、
時間がたつとテーマが移り変わってしまうため、
こうして色々な事に通じる普遍的なツイートを集めると、
実際の深層の意図などがしみじみとよく分かるなと思います。

 

 

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特に、こんなこと考えたことも無いってことについての視点を与えれるものは特に面白いなと思います。

 

千葉って何か作ってもすぐ「東京〇〇」って呼称にするけど、埼玉はちゃんと「SAITAMA〇〇」っていう名前にしてるから、そのうち、世界に地名が認知されるようになると思う。 

 

これなんてめちゃ面白いな~と思いました。
日本人に対してだけを考えるなら、より東京に近いことを売りにするためにその方法を選んでいるんだろうけど、世界に対してと考えるなら地名を売るという機会の損失と言える訳ですもんね。もったいない。

 

テレビ番組って、女性識者や女性社長を「二児の母である」って紹介し、男性についてはそう紹介しないことが、「子育ては女性がするもの」というプロパガンダに加担することと同義であるって、理解できていないレベルの人が作ってるんだよね。

 

こういうのを見ると、実際に女性である自分自身もそのプロパガンダに毒されていることに気づくきっかけになります。
あまりにも当たり前のようにそういう思想を刷り込まれている気がする。
だからなかなか疑問を持つことさえ出来ないでいるのかも。

 

正にタイトル通りの多眼思考を持つのって必要だな、と思います。
色々なものを多方面から考えること。
思考停止に陥らないこと。
変化を恐れないこと。
みんなと同じが正しいと思わないこと。
そしてそれが出来るようにこういう本を読み続けること。

自分のためにもなるだろうけど、面白い本でした!

 

【準備ばかりの人生をやめよう】きっと、よくなる!


きっと、よくなる! 人生はよくなるようにできている  [ 本田健 ]

電子書籍はこちら

 

この本の構成は、1つのタイトルに対して、
だいたい2~4ページほどで成り立っています。

なので、前から順番に読んで行っても良いし、
手近に置いて、気が向いた時にパッと開いた部分を読むという形でも
その時々のヒントが得られるような本のような気がします。

 

 

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私は前から順番に読んで行きましたが、特に気になった部分がいくつかありました。

まずは、タイトルにも記載した「準備ばかりの人生をやめよう」というところ。

私たちは小さいころから大きくなったら役に立つからと勉強、
働き始めたら老後のために貯金、資格取得、などと準備ばかりしていて、
じゃあその準備を生かす本番の人生って一体いつなの?という疑問が沸いて来ます。

そうこう言っている内にいつ人生が終わるかなんてわからないのだから、
準備ばかりの人生をやめていつでも本当の人生を送りたいな、と
その項目を読んで思いました。
これってもしかして、「すぐやる」という精神にもつながるかもしれませんね?
準備が不必要という訳ではありませんし、目的に対しての準備は必要ですが、
何も考えずにいつか必要になるからという理由での準備に追われる人生は嫌だとそう思いました。

 

そしてもう1つ気になったところは、「許せなかった家族を許す」というところ。
私の場合は、特に許せないと思っている家族がいる訳ではありませんが、
「誰かを許せない」という心の動きに興味があります。

「誰かを許さないというのは、囚人を閉じ込めておくための看守の仕事を二十四時間やることと似ている」という『ゆるすということ』の著者ジャンボルスキー博士の言葉に出会ったのです。

 

引用の引用になってしまいましたが、なるほどなあと思ったのです。
許すか、許さないか、というのはあくまでも自分の心の中での話です。

ですので、人を許さないことで自分自身に看守の仕事を強いて、
そして苦しむのも自分自身ということです。

許すのは自分が楽になるためなんだなあと思いました。
ドラマの中でもよく出てくる、人を許さずに復讐をするシーン。
でもそれを成し遂げてもその本人も幸せになっていないのは、
これが理由なのかな、とそんなことを思いました。

 

そんな感じでいろいろとヒントになる部分がちりばめられていました。
きっとまた違うタイミングで本を開くと異なった部分にピンと来るのだろうなと思います。

 

また時間を空けて再度読みたい本です!

 

 

【脳の抑制を外そう】結果を出せる人になる!「すぐやる脳」のつくり方


結果を出せる人になる!「すぐやる脳」のつくり方 [ 茂木健一郎 ]

⇒電子書籍はこちら

 

とても面白いなと思うのが、最近似た内容の本を思わず手に取っているということです。

 

これはきっと自分自身が課題だと思っている部分にピンとくる内容だと、

なんとなく思うから引き寄せるのかなと思います。

 

おそらく自分の課題は「やらなければいけないと思っているのになかなか行動にうつせない」ということなのでしょう。

 

この茂木さんの本は、すぐやることが大切というお話とともに、

すぐやる脳を作るには・・・ということを書いてあり、

とても興味深く読みました。

 

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特に心に残ったのは、この部分

「やろうと思っている、けれどもなかなか行動に移せない・・・」と悩んでいる人は、決して「すぐやる」ことが苦手な訳ではなく「脳の抑制の外し方」を知らないだけなのです。

 

これは、正に私自身の状態です。

どちらかというとかなり真面目に生きて来た気がするのですが、
それが過ぎると抑制作用となってしまい結局何も行動出来ないという結果になっているのではないでしょうか?

 

途中まででも不完全でも構わないから、まずはすぐやってみることを心掛けて、

そして、始める前に色々とぐるぐると考えてしまう時は、これが抑制作用だなと意識するようにしてまずははじめの第一歩を踏み出せるように実行してみようと思います!

 

 

 

 

【10秒の勝負】結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる

結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる 能力以上に結果が出る「行動力」の秘密 [ 藤由達藏 ]

 

この本はタイトルが良いなあとまず思いました。
伝えたい事のほとんどを性格にこのタイトルの文字数だけで表現されています。

 

筆者いわく「人間行動の原則」はこういう事なのだそう。

それはチャンスや情報が手に入った際、10秒の間に動くことができる人はすべてを手に入れ、10秒以上もの時間をかけても動けない人は何も手に入れられなくなる、ということです。

 

これは10秒以内にその行動を始め無ければいけないということではなくて、
やるかやらないか、いつやるかをすぐに決めて、実際に行動できるかということですね。
意外とよくいるのが、人の話を最後まで聞かずに電話をかけ始める、なんて人ですが、それとはちょっと違うと思います・・・
そういうのが行動が早いと勘違いしないことも必要だな、と思います。 

 

何かを始める時には、大きな力が要りますが、
実際に始めた後は慣性の法則が働きますから、
始める時ほどのパワーはいらないということ。

そしてその慣性の法則は何かをやめる時には、
それを難しくさせることもあるということ。

考えると悩むは違うということをしっかり区別して考えること。

 

色々なヒントがたくさん詰まっていましたが、
まずはこれから始めたいと思います。
それは、絶対に失敗しない小さなことでいいからまずやってみること。
その一歩をやるかやらないかで、後の大きな違いにつながるのだなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

【不機嫌な人ほど容易に周囲の人を支配する】ピカソは本当に偉いのか?

ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書) [ 西岡文彦 ]

 

本の内容は美術というものの捉えられ方の変遷、
ピカソが生きた時代、ピカソの人心掌握のうまさ
『美術』というものの用途の変化など、
多岐に渡っていて、非常に興味深いものでした。

ただ、絵がうまいからと言って絵が売れる訳ではなく、
その他のことにも精通していたからこそ、
ピカソは自分の絵の価値を高めることができたのですね。

 

そして、教会や貴族の家を飾るためのものだった絵が、
美術館という生活を切り離された場所に置かれるものへと変化した際に、
美術の価値もそれとともに変わって行ったのですね。

 

しかし、そういう風に絵のことを書いてある部分よりも
もっと心に残ったのはこの部分です。
ピカソは不機嫌さを隠さず感情をあらわにする人だったようですが、
知ってか知らずかそれも人心を操るために一役買っていたようです。

不思議なことに、多くの人は、感情をあらわにする人物と対面すると、そのあらわな感情の従者と化してしまう傾向があります。人間には底抜けに善良なところがあるらしく、目の前の人の感情に責任を取らずにはいられない心理が働くからです。

 

確かにいい人が感情をあらわにしている人に
おろおろしているのを見ることが多い気がします。

 

しかし、もともと人の不機嫌や機嫌は、本人の都合で決まっている訳ですから、その機嫌をとるために第三者が取る行動が、一貫したものになるはずがありません。機嫌をとることが功を奏する場合もあれば、その逆の場合もあるわけです。おかげで、機嫌をとる側の人間は、自分の相手への働きかけと相手の起源との因果関係がまったくわからない立場におかれてしまいます。  

 

そうして、自分が責任を取れない相手の不機嫌さというものに翻弄されて、
相手の従者のようになってしまうとのことなのです。

 

今まで、それこそ小学生の頃から、どうしてそういう感情をあらわにする人がその場を支配することがあるのだろう?という疑問があったのですが、これを読むことでなるほど、と思えました。

 

こういう事を理解していると、ある程度は機嫌の悪い人にどうしたの?と声をかけることくらいは するにしても、それ以上は「どうやら機嫌が悪いみたいだな」という認識をするくらいでよくて、自分まで気にすることはないな、と思えますね。

 

洗脳に関してもそうだけど、『知る』ということは、
色んなそういう感情のマジックにかかるのを防ぐ役割もあるなと思いました。

 

 

しかし、ピカソが才能豊かな人であったことは間違いないですが、
色々知ってみると、人心を操ることにも長けた魔王のようでもあります。
そして、芸術家はそういうものであるという世間の先入観によってそれが許されているという事実もあるのだろうなとそんなことを思いました。

 

 

 

【英語を話せない自分をイメージしているからその通りになって話せない】バイリンガルは二重人格

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バイリンガルは二重人格 [ 苫米地英人 ]

電子書籍はこちら

 

ひさびさにピン!と来る本を読みました!

バイリンガルは二重人格という苫米地氏の本です。

 

少しですが、外国に住んだことがあるので、

すでにタイトルからなんとなく「そうかもなあ」という気がしたのです。

 

実際に、日本人が「英語を話せる」という状態を想像する際に、

「ネイティブのようにペラペラと話す」ことを思い浮かべて、

話の内容については考えることも無いような気がします。

 

でも「本当に大切なことは話す内容である」ということを、

再確認させてくれる本です。

その本質を忘れて、発音の事ばかり考えて、

自分はそういう話し方が出来ないから英語が出来ない。

ヘタで話すのが恥ずかしいから話せない。

その思い込みをまずはがすことが大切なようです。

 

英語の語彙力や発音に関わらず結構通じる、
アメリカに行ったって、色んな人種がたくさんいて、

それぞれなまりもあるけれど、通じる。

幸い私はそれを知っているので、

私自身は「伝えたいことを伝えることが出来る」というセルフイメージです。

だから英語を話せるのだと思います。

 

でも、「私は英語を話せない」という自分をイメージしている人は、

いつまでたっても離せるようにならないということです。

なぜなら自分が想像したことが現実になるから。

これは他の事にも通じますね。

 

そして、英語を話せるようになりたいなら、

英語で考える環境を作るのが良いようです。

その部分こそ、言語的な二重人格をつくるという部分でしょうか?

その方法については本に詳しくありますが、

英語という言語が成り立ってきたその文化的な背景を知るというのも

大事なことのようです。

言葉は文化ですもんね。

 

「抽象化された知識を手に入れる」ことがその文化や言語を知るために

一番大切な部分ではないかと思うのですが、

この「抽象化された知識」という概念に関して納得して、

何か目の前が晴れた気がしました。

例えばドラマを見ても、どこかで見たような恋人同士のやり取りが

いろいろと方法を変えて、見せられる訳です。

それは時代が変わっても元をたどればシェークスピアや、

もっとさかのぼればギリシャ神話に行きつくという!!!

 

例えば使う通信手段が手紙だろうが、スマートフォンになろうが、

やっていることは変わらないということで、

その思考や行動の原点がすべてギリシャ神話にあるので、

それこそ話せるようになりたい言語の古典を読むのが良いという事なんですね。

 

だから、違う言語を知ることは、

違う概念を知ることであり、世界が広がることなんだなあと

そんなことも納得させてくれる面白い本でした!